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9/5仙ノ倉谷 西ゼン に行ってきました!
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車止めゲートを越え、林道を進み
毛渡沢を渡渉し、登山道(1時間弱)に入ります。
遭難碑を目印に入渓です。

しばらくはずっとゴーロ
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イイ沢出合からナメが現れ始めます。
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ナメ滝
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第1スラブ
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第2スラブ
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こんなに登ってきたのね
人生は前向きがいいですがちょっと後ろを向いてみました
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ヤブこぎ
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池糖
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平標頂上に到着
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初生スラブ素敵だったなおんぷ
お疲れ様でした~
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2009.09.10 Thu l 沢登り l COM(0) TB(0) l top ▲
8/29-30出張で熊本へ行ったついでに延泊して熊本・宮崎を旅してきました!

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熊本城
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日本三名城の一つに数えられる熊本城。天正16年(1588)、肥後半国の領主として熊本に本拠を置いた加藤清正によって築かれました。築城は慶長6年(1601)に始まり、同12年(1607)に完成したといわれています。
城郭は周囲9Km(築城当時)、広さ約98万平方メートルで、その中に天守3、櫓49、櫓門18、城門29を持つ豪壮雄大な構えです。この城は以後、加藤家2代(44年)、細川家11代(239年)の居城となりました。
明治10年(1877)の西南の役に際しては、薩軍を相手に50日余も籠城し、難攻不落の城として真価を発揮しました。しかし薩軍総攻撃の2日前、原因不明の出火により天守閣など主要な建物を焼失。現在の天守閣は昭和35年(1960)、熊本市によって再建されたそうです。
天守閣は本丸の最高所、標高50mの茶臼山の頂上に位置する天守閣は、「一の天守」と呼ばれる大天守(3層6階地下1階 約30m)と、「二の天守」と呼ばれる小天守(2層4階地下1階 約19m)から成っています。

【旧細川刑部邸(きゅうほそかわぎょうぶてい)】
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細川刑部家(ほそかわぎょうぶけ)(別名長岡刑部家)は細川家3代(肥後藩初代にあたる)忠利(ただとし)公の弟、刑部少輔興孝(ぎょうぶしょうゆうおきたか)が正保3年(1646年)に2万5千石を与えられ興したものです。旧細川刑部邸は建坪300坪(990平方メートル)で、蔵が付属した長屋門(ながやもん)を入ると、唐破風(からはふ)の大玄関、ついで御客間から入側造り(いりかわづくり)の表御書院(おもておんしょいん)、二階建ての「春松閣(しゅんしょうかく)」とつづき、別棟に書斎の付いた茶室「観川亭(かんせんてい)」や御宝蔵(ごほうぞう)などを備え、全国有数の上級武家屋敷としての格式をもっています。
昭和60年(1985年)に熊本県指定重要文化財に指定されています。現在の旧細川刑部邸は平成2年から4ヶ年をかけ、子飼から熊本城内三の丸(さんのまる)に移築したものです。


【夏目漱石内坪井旧居】
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明治29年(1896年)、第五高等学校(現在の熊本大学)の教師として来熊した夏目漱石(なつめそうせき)。彼は4年3か月の熊本滞在期間中に6回も転居。そのうち、5番目に移り住んだ家で、最も長い1年8ヶ月を暮らしたのがこの家です。当時、新婚だった鏡子夫人と暮らし、長女筆子さんが誕生した夏目家にとっての思い出の家です。

【小泉八雲熊本旧居】
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「耳なし芳一」、「雪女」、「むじな」などの作者として知られる小泉八雲(こいずみやぐも・別名ラフカディオ・ハーン)。小泉八雲熊本旧居は、明治時代、第五高等中学校(現在の熊本大学)の英語教師として熊本に赴任した際、最初の一年を過ごした住居です。八雲の作品の一つである「知られぬ日本の面影」はここで執筆されたといわれています。平成7年(1995年)に復元された住居内には、八雲の足跡を紹介したパネルや作品のほか、当時、八雲が毎朝礼拝したといわれる神棚も残されています

【高千穂】
高千穂は天孫降臨(てんそんこうりん)の神話や伝説が息づく山里です。天孫降臨(てんそんこうりん)の神話は「古事記」、「日本書紀」、「風土記」などに書かれているようです。
それは、 乱れた地上界を心配した天照大神(アマテラスオオミカミ)が孫にあたる瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)に地上界へ降りて国を治めるように命じました。日向國風土記によるとニニギノミコトが降り立ったのが日向の高千穂の二上の峰です。しかし、辺りは暗く何も見えず、立ち往生していると、そこにツチグモ族の大クワ・小クワと名乗る二人が現われ、「ミコトがお持ちになっている稲穂から籾を取り、四方に撒けば、きっと晴れ渡るでしょう。」と言う。ミコトがそれに従うと、みるみる空が明るくなり、日と月が輝き始めた。これにちなんで、この地を「高千穂」と名付け、後に「智鋪」と改められた。 という話です。


【国見ヶ丘】
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ここから眺めると、神話の国であることがわかる気がします。
この国見ヶ丘は標高は513mで、驚くほどの高さは無いですが、足元に高千穂盆地、西に阿蘇外輪山、北には九州の尾根祖母山(標高1757m)の連峰がそびえ、南には椎葉の山々の連なりを見ることができます。
 国見ヶ丘の地名は伝説によると、神武天皇の御孫建磐龍命(たけいわたつのみこと)が筑紫の国の統治の命を受け、下日向県(しもひゅうがあがた)を経て阿蘇に向かわれる途中に、この地で四方をのぞまれた。これにより「国見ヶ丘」といわれるようになったと伝えられています。

【高千穂峡】
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 高千穂峡(五ヶ瀬渓谷)は約12万年前と約9万年前の二回の阿蘇火山活動の際、噴出した溶岩流が五ヶ瀬川に沿って帯状に流れ出し、急激に冷却された侵食谷です。柱状節理のすばらしい懸崖となった渓谷です。
 
  この高千穂峡は、昭和9年11月20日名勝・天然記念物に指定されています。付近には、七ツヶ池と呼ばれる歐穴や日本の滝100選にも選ばれた真名井の滝、槍飛橋などがあります。
 高千穂峡では、貸しボートで「名勝真名井の滝」に近づくことができます。
自然遊歩道や、釣り堀、淡水魚水族館などがあり、夏は流しそうめんなどを楽しめるそうです。
上流の窓ノ瀬から下流の吐合間が中心で、1934年(昭和9年)11月10日 五ヶ瀬渓谷として、名勝及び天然記念物に指定され、昭和40年3月には祖母傾国定公園に指定。
高千穂神社
御祭神は、上古高千穂皇神と申し上げ別名十社大明神という神号で親しまれています。十一代垂仁天皇の御代の御創建で、六国史にも掲載されている国史見在社です。天慶年間には高千穂十八郷八十八社の宗社として、特に往昔、武神、農産業、厄払い、縁結びの神として広く信仰を集め、鎌倉幕府をひらいた源頼朝は、畠山重忠を代参として天下泰平の祈願をし、皇室発祥の聖地に対する尊皇のまことを表しました。境内には、この時重忠が手植えした樹齢約800年の秩父杉(目通り1.8m、高さ55m)がそびえています。


天岩戸神社
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天照大神を祀る神社で、社殿背後を流れる岩戸川断崖の中腹に弟素差男命の乱暴に怒り天照大神がお隠れになった天岩戸の洞窟があります。付近には、天浮橋、天香山や天照大神が天岩戸にこもられたとき、八百万の神々が集い神議ををされたという天安河原等があります。

阿蘇山(阿蘇五岳と外輪山)
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 阿蘇は典型的な二重式の火山。阿蘇山といえば阿蘇五岳を中心にした中央部の山々を呼ぶことが多いですが、広い意味では外輪山や火口原をも含めた呼び名です。
 外輪山は南北25km、東西18km、周囲128?もあり、世界最大級の火山です。 阿蘇山は日本の山で最初に外国の文献に記載され、当時からその名をとどろかせています。
 阿蘇は火の国熊本のシンボルであり、高岳(1,592m)を最高峰に根子岳(1,433m)、中岳(1,506m)、烏帽子岳(1,337m)、杵島岳(1,321m)と連なっている阿蘇五岳、ほぼ900mの高さで火口原を囲む外輪山等どれを取っても第一級の風景です。
 阿蘇が現在の山容になるまでは古い活動の歴史があり、10万年前、阿蘇が現在ある場所には数多くの火山があり、活発な活動をしていました。これらの火山が一斉に噴火活動をし、火山灰、溶岩などを噴出、この活動が終ると大陥没がおこって、今の外輪山の原形が生まれました。
 このくぼ地に火口湖ができ、立野付近で断層や侵食がくり返され、湖水が流れ出しました。3万年から5万年前に東西方向に並んで阿蘇五岳の山々が噴出したといわれています。
阿蘇五岳(根子岳、中岳、高岳、杵島岳、烏帽子岳)の中で
白い煙を吐いて今なお噴火活動をしている中岳第一火口。その周辺には溶岩がごろつき美しい緑もない別世界が広がっています。直径600M深さ130Mで火口からでる溶岩の温度は1,000~1,200度C。
今回は阿蘇山ロープウェーを使って中岳火口へ。これは世界で初めて活火山に架けられたロープウェーです。登山バスの終点阿蘇山西駅から火口縁の火口西駅まで、高低差108mを所要時間4分で結びます。

米塚
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高さ約50メートル、おわんを逆さまにしたような形で、とても美しい山であり、特に春から夏にかけては緑一色に染まり美しい景色を見ることができます。

草千里ヶ浜
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直径約1kmの円形の草原で、もともとは火口だった所。大きな池は、解放された牛や馬の格好の水飲み場、その情景は阿蘇の風物詩のひとつ。

こちらは熊本グルメ
馬肉料理「むつ五郎 (むつごろう)」http://www.mutugoro.co.jp/
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馬刺です
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馬刺し醤油で戴きます。
口の中でとろけます。

人文字くるくるという、変わった名前のお料理
これは野菜
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昨年の屋久島に続き、今年も縁あって九州に行ってきました。
とっても素敵な所でしたくり抜きハート1
皆さんも是非行ってみてくださいね~!
2009.09.10 Thu l 登山・九州 l COM(0) TB(0) l top ▲